キーケース専門店 ヴィンセント

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ポール・スミス(Paul Smith)はイギリスのファッションデザイナー、また彼の持つファッションブランドである。

デザイナー

ポール・スミスは1946年7月5日、イギリス、ノッティンガム生まれ。 少年時代は自転車競技のレーサーを目指していたが、不慮の事故により挫折。 その後にアートスクールの学生と親しくなり、芸術の世界に魅せられたことが現在の仕事のきっかけとなる(17歳)。 1966年後の夫人で公私共に大切なパートナーとなるロイヤルカレッジオブアートのテキスタイル教師で芸術家のポーリーンと出会う。 1970年ノッティンガムに最初の店を開く。当初はマーガレット・ハウエル、ケンゾーなどの商品を取り扱っていたが、徐々に自らの名を冠した商品も取り扱い始める。(この店はロンドンのジョゼフ、ロサンゼルスのマックスフィールドと共に最も早くマーガレット・ハウエルを取り扱った店の一つで、デザイナーのマーガレット・ハウエルとは旧友である。) 1976年初めてのショーをパリで開催。以降、毎シーズンパリでメンズウェアの新作コレクションを発表している。1980年ニューヨークデザイナーズコレクティブにパリのマルセル・ラサンスなどと共に招聘される。1984年日本に進出。南青山の骨董通りに路面店を構える。それ以前にも日本では大阪のナカガワクロージング、東京のインターナショナルギャラリービームスなどの専門店で取り扱われていたが、伊藤忠商事との契約に基づき正式に進出したのはこの年からである。(同時期に骨董通りにメンズウェアの店を構えたコム・デ・ギャルソンの川久保玲とは後に親しくなり、来日の際などに度々川久保や青山の店を訪ねるという。日本進出の際には、ラルフ・ローレンなどがあるフロアとコム・デ・ギャルソンなどがあるフロアのどちらに自社の服を置くかで悩んだそうである。)1987年ニューヨーク五番街に路面店を構え、ヤッピーと呼ばれた若いエリート層の間で一種のステイタスシンボルとなる。この店の成功は、後に付近のエリアに進出したアルマーニの出店にも影響を与えた。1991年英国産業デザイナー賞を受賞。1994年エリザベス女王より大英帝国勲章(CBE)に叙勲される。1997年トニー・ブレア首相の首相就任式のスーツを担当する。(以後、ブレア首相退任までの10年間の長きに渡り公務のスーツを担当した。)同年、友人でもあるヴァージングループ会長リチャード・ブランソンらと共にブレア政権下の「クリエイティブ産業タスクフォース」のメンバーに選ばれ、クール・ブリタニアムーブメントの一翼を担う。1998年ロンドンの高級住宅街ノッティングヒルに、念願であった邸宅を改装しビスポーク(注文服)のアトリエを併設した旗艦店「ウエストボーンハウス」を開店。2000年ファッションデザイナーとしてはハーディ・エイミスに続き2人目となる、エリザベス女王からサーの敬称で呼ばれるナイトに叙勲される。

“ひねりのあるクラッシック”をスローガンとする彼の服飾は伝統的な技術、仕立てと遊び心が共存する個性的なもので、ブランドのシンボルともなっている色鮮やかなストライプ柄や花柄、写真などのプリント技術を応用してメンズウェアに逸早く取り入れるなど、軽やかで色鮮やかな素材や仕立てを伝統的なものに取り入れ、融合させることにより、ジーンズとTシャツに代表されるカジュアルファッションの勢いに押されて低迷しつつあった、ともすれば古色蒼然とした堅苦しい印象を与えがちであった英国の伝統的なメンズウェアに、モダンなファッションアイテムとしての新たな価値を見出すと同時にスーツをはじめとする英国の伝統的なメンズウェアの良さを世界に再認識させた。その彼の感性は服飾の分野にとどまらず、早くから異業種のトム・ディクソンやダイソンなどを取り扱ったり、1995年にファッション・ブランドとして逸早くウェブサイトを開設したり、1998年には(1994年よりBMW傘下となっていた)ローバー社の小型車“Mini”の内外装を手がけるなどして話題となった。

後のイェーガー会長で英国ファッション協会会長のハロルド・ティルマンに見出され、ノッティンガムで自身の店を経営するかたわら、ロンドンの高級専門店ブラウンズのコーディネーター兼デザイナーに就任して3年間同社の買い付けとデザインを担当することから本格的なファッション業界でのキャリアをスタートさせ、膨大なアイデアを書き留めたメモを元に言葉でデザインを伝えて服の製作を行うなど、いわゆる一般的なファッションデザイナーとは異ったタイプの非常に社交的でユーモアセンスにあふれ、かつ、謹厳実直さや礼儀正しさも併せ持つ優れたビジネスマンであり、独創的な店舗の建築デザインへの功績から2007年に英国王立建築家協会(RIBA)の名誉会員に選出されるなど、多才なアイデアマンである。また、ドリス・ヴァン・ノッテン、アレキサンダー・マックイーン、クレメンツ・リベイロなどをデビューからバックアップするなど、後進の育成にも熱心で、彼らやキーン・エトロなどのよき理解者であり、その人柄から「ダディオブファッション」と呼ばれたりもしていた。2007年から2008年にかけてウールマークの新人デザイナー育成プロジェクトをカール・ラガーフェルドやドナテラ・ヴェルサーチ、フランカ・ソッツァーニらと共に担当したり、ロイヤルカレッジオブアートでファインアートを専攻する学生とノッティンガムトレント大学で服飾を専攻する学生とを対象にしたポール・スミス奨学金を設けたりしている。

彼の服はポール・ウェラーなどのミュージシャン、オスカー授賞式でビスポークスーツを着用したダニエル・デイ=ルイスなどの俳優、画家のデビッド・ホックニーや写真家のマリオ・テスティーノなどの芸術家、イングランド銀行総裁のマービン・キングや保守党 (イギリス)党首のデービッド・キャメロンなどの政財界人、日本では角川春樹など、数多くの著名人に愛用されている。

ブランドの各ライン

* Paul Smith(メンズ、レディス)

メインライン(Main Line)と呼ばれる。メンズはパリ・コレクション、レディスはロンドン・コレクションで発表されるプレタポルテ。

* Bespoke Service(メンズ、レディス)

ポール・スミスの旗艦店であるウエストボーンハウス店に併設されているテーラーなどの技術者が常駐するテーラリングルームと呼ばれるアトリエにて製作されるビスポーク(注文服)のライン。ロンドンの金融街シティにあるロイヤルエクスチェンジ店でもこのサービスの予約をすることができる。2008年にはニューヨークの旗艦店に技術者が渡航して注文会が行われた。ポール・スミスの故郷ノッティンガムの旗艦店でも主に地元の顧客を対象に同種の試みが行われている。

* Paul Smith COLLECTION

日本限定のラグジュアリーなメンズウェア。  

* Paul Smith LONDON

ビジネスシーンでの着用を想定したスーツを中心としたメンズウェアのライン。

* The British Collection Paul Smith

Paul Smith LONDONの中でも特に英国的な素材や仕立てに拘ったライン。

* Paul Smith BLACK

ビジネスシーンでの着用を想定したレディスウェアのライン。

* PS Paul Smith

カジュアルウェアを中心としたメンズウェアのライン。

* Paul by Paul Smith

カジュアルウェアを中心としたレディスウェアのライン。

* Paul Smith JEANS

ジーンズを中心としたメンズのカジュアルウェア。

* RED EAR

Paul Smith JEANSの中でも特に日本製の高品質なジーンズに拘ったライン。

* R.NEWBOLD

ポール・スミスの服の一部を製作していた100年以上の歴史を誇るR.NEWBOLDというファクトリーが廃業するのを惜しんだポール・スミスが、そのファクトリーを買い取ったことに端を発するカジュアルウェアのブランド。

ブランドの沿革

* 1970年 初の店をノッティンガムにオープン
* 1974年 バーニーズニューヨークに初めてシャツを販売
* 1976年 パリで初めて「ポール・スミス」を発表
* 1979年 コベントガーデンにロンドン一号店オープン
* 1984年 青山店オープン
* 1987年 ニューヨーク店オープン
* 1989年 ハロッズ史上初のコーナー展開による単独店をオープン
* 1991年 渋谷に旗艦店オープン
* 1993年 レディスライン「ポール・スミス ウィメン」を発表
* 1993年 パリ店オープン
* 1998年 ノッティングヒルに旗艦店「ウエストボーンハウス」オープン
* 1998年 「ウエストボーンハウス」にてビスポークサービス開始
* 2000年 香水ブランド「ポール・スミス パルファン」を発表
* 2001年 ミラノ店オープン
* 2005年 故郷ノッティンガムに旗艦店オープン
* 2005年 ロサンゼルス店オープン
* 2006年 青山に旗艦店「ポール・スミス スペース」オープン
* 2006年 ニューヨークに旗艦店オープン
* 2006年 パリのサントノーレ通りに旗艦店オープン

ポール・スミスと日本

日本でのポール・スミスは伊藤忠商事がマスターライセンシーとなり、メンズウェアは伊藤忠商事の事業会社である株式会社ジョイックスコーポレーション、レディスウェアは株式会社オンワード樫山の二社を中心としたサブライセンシーによってライセンスブランドとして展開されている。海外ではメンズウェアはポール・スミスリミテッド、レディスウェアはオンワード樫山のイタリア現地法人ジボ・コー(Gibo' Co. spa)が製造販売を行っている。海外で販売されている製品は主にイタリア製で、日本製に比べ素材やパターンメーキングのクオリティが高いものも多いが、近年の欧州製品高騰やプレタポルテのラグジュアリー化などの諸条件も相まって総じて日本よりも高価である。こうした傾向は、日本で販売されている製品のその殆どをイタリア製やイギリス製などの輸入生地を用いて日本で生産を行っているメンズウェアにおいて特に顕著である(日本でライセンスブランドして展開を行っているサビルロウのリチャード・ジェームスやティモシー・エベレストと同様に日本製の高価なジーンズやジャケットが海外でも販売されているほか、日本でもイタリア製などの海外で展開されている製品が(メンズに関しては一部ではあるが)販売されている。)。

海外でのポール・スミスが主に路面店と高級専門店への卸を軸にラグジュアリー市場を想定したミドルエイジ中心の展開なのに対し、日本でのポール・スミスが主に百貨店のインショップ展開とフランチャイズ契約を軸としたアッパーミドル層の中でも特に若年層を意識した展開であるなど、双方に隔たりがあるのは、海外との消費傾向の違いやデザイナーズブランドそのものに対する認識の違いもあるが、多店舗展開でオンシーズンのセールを行わずにスーツの販売価格を下げるなどのローカライズ展開を長年行ってきた伊藤忠商事によるブランディングの影響が大きい(伊藤忠商事は2005年にポール・スミスグループホールディングスの株式を40%取得して経営に参画している。伝統的に繊維に強く、世界の一流生地メーカーにウールを提供するグループ企業をオーストラリアに所有するなど、ポール・スミスリミテッドの世界戦略上の重要なパートナーでもある。)。

日本国内での生産やブランドのローカライズには、海外市場と日本市場それぞれの趣向の違いからくる隔たりや服のサイズ調整、フィッティングの問題などに加え、販売価格や品質の安定、日本の市場に適したスタッフの育成が行えるなど利点も多いが、一方で多店舗展開することや販売価格を下げることでブランドが広く一般に認知され、定着することにより、消費者によっては無難であるといったような印象すら抱かせることがあることも否めない。また、日本ではポール・スミスが国際的なブランドとして海外のラグジュアリー市場で成長する以前から若年層のファンと共にブランドが成長してきた経緯があり、他の国際的な著名ブランドと同様に日本が世界最大の市場となるまでに至った日本のポール・スミスの安定した経営が、海外でのポール・スミスリミテッドの比較的自由な展開へ貢献してきたことからも、日本におけるブランディングについては、特に慎重にならざるを得ないのかもしれない。


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